あっという間に桜は散ってしまいましたね。このはかなさが心を揺さぶるのでしょうか、桜が好きという方は多いようです。当山の桜も彼岸の中ごろには満開でその後の雨で少しづつ花が落ちいまでは すっかり葉桜となりました。開花予想は自然次第、人間が推し量るのはエゴなのかもしれません。
さて開花予想が時期になると報道で見聞きするわけですが、この新型コロナウィルスの情報もcovid-19から変異種のcovid-21と呼ぶものが出ているようです。まさに病気の予想はなかなか難しいですね。ウィルスは有史以来切っても切れない存在です。風邪やインフルエンザなど身近なものでしょう。果たしてこのコロナの着地点はどうなるのかまだまだ時間がかかるようです。
予想といえばわたしたちの人生もこの病気の出現で変わったという方も多いでしょう。仕事の形態変化や移動の制限で人に会えない、帰省できないなど。またマスクの着用は法律上の義務ではないとはいえかなり強い強制力が発生しているように感じます。実際の感染状況から着用が必然となっているのでしょう。このような状況を誰が予想しいえたでしょうか、本当に心苦しい時代で知らない間に相当なストレスが心と身体にかかっています。今回色々な方と話をするうちによく聞かれたのが葬儀についてでした。なかなか自分の葬儀については考える機会もないというか、なんとなく後回しにされがちです。昨年の志村けんさんのように、コロナ感染⇨入院で面会できず⇨残念ながらお亡くなりになる⇨葬儀や火葬も参列できず⇨遺骨となって帰宅。このような流れをみるにつけ、せめて人に会いたい、お世話になった人、最低限家族や兄弟には送って欲しいと思う人が増えたと思います。「8時だよ全員集合」で育った世代としては逝去とそのあとの流れには非常に寂しさと切なさを感じたものです。
「自分の葬儀はこうしたい」「参列してもらう人はこの人とこの家族」「葬儀はお寺でさせてほしい」などといった具体的なお話をきくにつけ、私自身もどうしたいのかを考えるようになりました。よく家内には「臓器移植の有無」「延命治療のこと」など折を見て伝えていますが、こうした話をしづらいと感じて後回しにしていたら、いざ自分の意思で判断できなくなった状況で自分らしい生き方ができないと予想しています。身近な人に自分はどうしたいのか、どう生きてどう仕舞いの支度をするのかを少し話してみる、もしくは考えるきっかけになればこの病気の出現も少し価値が変わるかもしれません。
外出の制限で息の詰まる思いが世界中で感じられています。日本のお祭りも中止が決定されています。人が踊り、笑い、話し、手を取り合う、そんな当たり前が1年で懐かしく感じています。おひとりおひとりがどうか健やかにおすごしになれますように。