「過ぎ去ったことに囚われてはいけない」
お釈迦さまの教えにある一節です。失敗したことや悔しかったこと、悲しかったことは忘れたくても難しいものです。特にここ最近、数字や文字の打ち間違いが会議の資料制作で散見され、いわゆるうっかりミスが多く自分の確認不足を悔いています。もうすでに過去の事ではありますが、失敗の理由(いいわけ)をさがしてみても思い出すたびに心がざわつきます。「こんなこともできない人」と思われるのがつらいと周囲の評価を気にして塞ぎ込んでしまいます。精神的な安定には忘れること、考えないことが一番とは聞きますがそう簡単に割り切れるものではありません。迷惑をかけてしまった人がいることも事実です。
そんな日常のひとこまを境内にある大きなイトヒバの木を眺めながら思い出していました。枝が伸びすぎて切られようが台風がこようが、いやなことからこの巨木は歩いて逃げることはできません。すべての現実を受け入れて今この場所で根をはって生き続けている存在です。この樹齢200年とも言われる巨木の時間の中では私の書類のミスなど一瞬の些末な事に見えるのかなと思ったりもします。大きな尺度で人生を捉えればたしかに失敗したという点は文字通り点在しています。しかし全体の尺で見渡せばそれは再確認する努力や改善が必要なことを教えてくれた尊い失敗でもあります。なので失敗を思い出してくやしい思いをしているだけでは「過去に束縛されたまま」です、「今」を悠然と生きる巨木のようになれれば失敗のみに心はとらわれず前に進める気持ちになりました。
そこまであんたの失敗に興味はないよ、とある人に言われたことがあります。失敗は誰にでも起こりうるし大切なことは繰り返さない工夫をすることと教えていただきました。後悔の塊をいつまでも大事に抱えていても心苦しさは消えませんし、自分を攻め続けてもよい改善にたどり着くには時間がかかりそうです。さっと切り替えるプロである必要はありませんが、失敗したときはそれを受け入れる心のもちようと具体的な対応を考えるきっかけを頂いたと考えています。
仏教の教えや法華経のことを勉強しながらそれを実践していく、失敗したらどう心は動くのかを注視していくことはとても大切なことだと思います。