子供の頃、新しい靴を買ってもらうたびに母が怪我のないようにと「おまじない」をかけてくれました。母の「おまじない」という祈りのこもった真新しい靴が擦り切れて行くにつれてそのおまじないのこともいつしか頭の中からは消えてしまいました。やがて大人になってから自分で新しい靴におまじないをするようになりました。そして今は自分の子供の靴に母にしてもらったように「おまじない」をかけるようになりました。思い返せばよく転ぶので生傷の多い私にはおまじないが効かなかったかもしれません。しかし母は「おまじないの効果」よりも「おまじないを見せること」の方に重きを置いていたのかもと後から思うようになりました。怪我のないように祈ってくれたこと、乱暴な扱いになろうともできるだけ大切に使おうねと祈ってくれたこと、そうした気持ちを「おまじない」という形にして教えてくれたのがきっとおまじないの効果なのでしょう。実際にそれで怪我を減らす効果もあったかと思いますが、母の祈ってくれた親心を「おまじないの効果」としてずいぶん後になってから受け止めることができました。
「おかげさま」という言葉があります。さきほどの靴のたとえでいうならば、おかげさまで転んでも大怪我をせずに済みました、というように何かしらの力添えを頂いて痛かったけど、自分が納得できる(入院や治療がいらない)形で収まりがつきました、という事になります。私達に結果(怪我の程度)を変化させることはできませんが、結果の受け止め方を変えることはできます。たいした怪我をしないで済んだのは普段の健康管理の賜物であったり、たまたま転びそうになったときに掴むものがあったり、あるいは杖を渡されていたりとなにがしかの力添が理由のときがあるでしょう。転んだときに足腰の弱った自分やつまずいた石を攻めるのではなく、おかげで派手に転ばずに済んだ、といった具合に受け止め方を変えることができます。きっと様々な結果には「おかげさま」というメガネをかけて眺めると受け止め方が少し変わるかもしれません。
「おまじない」というと子供だましに聞こえるかもしれませんがそこに込められた祈りを思う時、そこには無限の慈悲と愛情が込められているものです。そしてそれは時間を超えて受け継がれます。今ほど「祈り」が求められている時代もないのではないでしょうか。きっとあなたの祈りが誰かの力添えになるはずです。
過去の寺報より抜粋