今をさかのぼること750年、日蓮聖人が身延の地にお住まいになってからのことです。大聖人のお説法を熱心に聞く聴衆の中に妙齢の女性がおりました。大聖人が出会うのは木こりか猟師くらいだとお手紙にしたためておられるくらい山深い当時の身延山です、当然この女性は目立つ人であったことでしょう。お説法を聞きながらもどこからこの女性がきたのかといぶかしく思った人々はその素性を知りたいと思っていました。
そんなある日のこと、あまりにもみなが不思議がるので大聖人が「あなたはどこから来たのか?」と尋ねられるとその女性は「そこの水差しにある水を私にお与えください」と答えました。大聖人が花の茎から落ちる一滴をかけたところたちまちに龍の姿となって自身の正体について話したそうです。「私は法華経によって救われた七面大明神というものです。七面山に住みながら身延の裏鬼門を守り、末法の世に法華経を信じる人を守護し、悩み苦しみを除き安らぎを与える誓いをたてました」と述べるやいなや南西の七面山に向けて天高く飛び去ったということが伝えられております。
大聖人の御入滅のあと大聖人の高弟であります、日朗聖人と波木井実長公が実際に七面山に登られ改めて大明神をお祀りしたのが起源となります。現在も山梨県の早川町の七面山にあります七面山敬慎院は大明神をお祀りし多くのご信者さまが参拝されています。実はこの敬慎院は日蓮宗総本山身延山久遠寺(身延町)の飛び地ではありますが、境内地として数あるお堂のひとつとして名前を連ねております。
ざっとではありますが、大明神と御祖師様の出会いはこのようのなお話が残っています。この七面大明神さまのご分体を妙久寺にも当山の第23世耆全院日慧上人(1760年頃)が勧請しました。以来檀信徒の外護のもと信仰をつないでまいりました。偶然アルバムを整理していたところ戦後の古い写真を見つけました。その当時の茅葺き屋根の姿が見られます。
向かって左側のお堂が七面堂です。

私の祖父34世の澍洽院日等上人(1950年頃)瓦屋根にふき替えられて現在にいたります。ふき替え当時の工法は現在の止めおく形と違うようで、瓦を屋根に重ねておいたような状態で地震にも弱いまま月日が流れて劣化と損傷が出てくるようになりました。そうした中で屋根が痛み雨漏りがするようになり修復の必要性が高まってまいりました。平成27年この七面堂の建て替えが日蓮聖人御降誕800年(1222年のお生まれ)の記念事業の柱として護持会総意のもと決議されました。翌平成28年から積立を開始して現在にいたります。本来であれば2021年2月16日(令和3年、平成33年)のご正当には完成の予定でいましたがコロナ禍のこと、翌年にはウクライナでの戦争のことなどが重なり、人の密集が問題になったり資材の高騰で着工にいたりませんでした。
個人的なことですが、祖母、母ともよくこのお堂にこもりお経を上げていたのを幼心に覚えています。私自身も平成16年からの3年間、また平成28年からの3年間の計6年間、敬慎院に奉職させていただくご縁をいただきました。平成27年の改修の誓願を立ててから七面山本社(敬慎院)に参拝し、令和元年の退職後も改修工事の着工を祈念しつづけておりました。今般、資金の面では見積もりの予算にまだ足りない状況ですがとりあえず着工の目処がたちました。また七面山にご縁のある大工さんにめぐりあったこともありがたいことであります。
今後の様子をまた掲載する予定です。