「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」と詠んだのは正岡子規であります。この一句の中にある情報量でお寺の姿や時の鐘なのか、果たして夕暮れ時か、柿という秋の季語の中から様々な情景が浮かび上がってきます。
拙寺でも除夜の鐘を予定しております。私が子供の頃はよくカウンターをもって鐘のそばで待機してくる人くる人に「おめでとうございます!」と元気よく挨拶をしました。最近では108まで数えずに終わってしまうこともあり、自分で打っていましたが真夜中のことで少し遠慮気味に打ったりしております。都内などの大きな街ではこの年末の風物詩ともいえる行事に対して否定的な意見を持つ方も増えているようです。雑音なのか騒音なのか受け止め方はありますが、なんとなくでも煩悩を滅する、年越しを区切りとしていい年を迎えたいという気持ちはだれにでもあるのではないでしょうか。
音切りという言葉を聞いたことがあります。音は振動ですからそれこそ五臓六腑にしみこみます。例えば大きな太鼓の音は腹に響きます。拍手のパンっという破裂音はなんとなく音の祝福としてめでたい印象があり耳からうれしい感情を起こします。音の振動で場を清める、対象を清めるという考え方もあるそうで、日蓮宗独特の修法加持もカンカンっと小気味のいいリズムと音に合わせて木剣(ぼっけん)で魔を払います。そうした意味を踏まえると除夜の鐘の響きであたりを清め、願いを以て打つ人の体に染み入り、音とともに煩悩を徐々に消えてゆく。音楽とまでは表現できませんが、鐘の音は神仏に対する賛歌でもあるように感じています。音楽と祭り、踊りが親和性が高いのはそういう理由もあるはずです。
今年はゆず茶とみかんを用意して除夜の鐘にお見えになる方々をお迎えする予定です。