残されたもの

  昨日の続きになりそうなお話です。先々代である第三十四世は祖父にあたる渓雄(けいゆう)上人です。文学部卒業なので文章の構成力や語彙力にすぐれ人様の記憶に残るお手紙や歎徳文(たんどくぶん:生前のおこないなどを褒め称えるもの)を書いています。

遠く及ばないと感じながらも故人の人生の一部を慮りながら私なんぞも準備しています。こうした文章はお寺としてしっかり保管しておりますが、先日こうした祖父の書き残したものを整理していてしばらく忘れていたものを再び見つけました。と、いうのも祖父が亡くなってから出てきた法華経について書かれた原稿がかなりの厚さとなって見つかりなんとかしたいと思っていました。しかしながら達筆な祖父の字にどうしても理解ができない字が多々あり断念して書庫に保管していた経緯があります。それを久しぶりに手に取ってみましたが、字の判別はできないままですが何とかしたいという気持ちは薄れていません。

今後は携帯のカメラなどで崩し字や旧書体の文字などもあっさりと識別できるそんな時代がもうまもなくやってくる、、、、、と思っています。私の母も崩し字が多く、昔の日記が残っていますがやはりじっくり読まないといけません。私も手帳の筆跡は崩し気味なので教わったわけではないですがなんとなくそういう傾向にあるようです。

母の子育て中の言葉の中に「余裕がないといけない」と書かれていました。取り方はいろいろあるのでしょうが、がんばりすぎて怒ってばかりであったのかもしれないし、妻として母としてなにか反省をしていたのかもしれません。そうした書き残されたものの裏側を読み取ることも価値があるように感じています。

投稿者: 市川 泰雅 

ほほえみの伝道師

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