
令和6甲辰年 節分会法要を営みました。右奥に見えるのが七面堂です。
例年2月3日の節分の当日、夜の7時水行で行ってきておりましたが、時代の変化に合わせてご参拝の方の危険のないよう日中に、そしてお運び頂きやすいように節分前の日曜日に変更しました。
本来の節分、季節の分かれ目なので実は立春、立夏、立秋、立冬の前日は節分になるのです。特に立春は新しい命が芽吹くころです。この節分は寒い冬が終わり新たな農事興産(地)や天候も暖かくなり変化していきます(天)ので天地が動く、すなわちその年の運気も変化するタイミングになるわけです。この立春を前に一年の運気が上向くように、順調に流れるように祈りながら、魔が入ってこないように滅する、魔を滅する、と略していき、マメが豆を投げることで本来の魔を滅することを意味するようになったそうです。
もともと魔は自分の外側にあるように思われがちですが、内面に潜む「欲望」であったり「怒りの心」であったり「おろかさ」であったりするわけです。自分の内側にあるそういったものを外側にある対象で認識します。例えば欲深い人を見て、自分のことはさておいて、相手をそういう人だとつい「思い込み」がちです。対象や状況が変われば自分もそう見られていることをつい忘れています。そういった自分の奥底にうずまいているものを、難しい言葉で「元品の無明(がんぽんのむみょう)」といいます。本来の仏教の教え(自身の心にひそむ魔を滅する)が語呂合わせを通して節分の風習へと統合変化していくところは面白い部分だと思います。
御祈祷ではこの元品の無明を断ち切るために、特別な法具である「木剣(ぼっけん)」を用います。修法祈祷を志す端くれとして、自分も魔のある人間ではあるけれど、神仏の前に額ずき、経を唱え、お水を頂き心身を清めて、私たちの祈りと神仏の御守護が交わるように慈悲の祈りを捧げます。お札を授与しましたご家庭では、このお札が目に留まる時に「今、神仏の御守護に叶う生活をしているだろうか」と思い返すきっかけになればと念じています。
ここを訪れる方も、そうでない方もすべからく令和6甲辰年が健やかで心穏やかな日々になりますよう山間の田舎寺から祈念いたします。