世界平和について

節分の法要で一人一人が幸せになれば世界平和に一歩近づくというような話をしました。争いの心を離れて思いやりの心をどう育むのかは方法があると思います。まずは教育、小さい頃からの人とのつながりのなかで育っていくものも大きいと思います。

冷静に世界を見回してみると争いは絶えません。タモリさんは「好き」という感情がある限り争いごとは無くならないのでは、とどこかで話していました。考えてみれば好きという感情は誰にでもあるものです。そしてその「好き」な対象が何らかの攻撃対象や破壊されると思った時に人はそれを守るために行動を起こします。単純にその通りだなと思います。私たちから「好き」がなくなった世界を想像してみると味気ない世の中になるように思います。

世界平和などと大上段に構える話題になってしまったのですが、身延にもイスラエルの方がよくお参りにきます。そういった方々にどう平和を伝えるのか、正直難しい気がします。政治の話は仲良くなってもそうそうできる話題ではないので実際には、様々な歴史観や国民性など複雑な要素が絡み簡単に「平和」という言葉をどのように出していいのかなと考えています。

平和を目指そう!という発言の裏には争いがあることが前提というか、そこに苦しみがあるゆえに穏やかな日常を目指そう!と言える部分があります。細かい部分を見ていけば平和な国にも社会の中に不満があったり、会社の仲間と馬が合わなかったり、家庭の中でさえ争いが起ります。どこで生活していても穏やかな営みというものは得難いものかなと思います。どのように生きるか?という問いの中に人と繋がる時には、せめて怒り貪り愚かな心で接しないよう仏教徒としてできればいいなと漠然と考えています。

投稿者: 市川 泰雅 

ほほえみの伝道師

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