身延山久遠寺90世 岩間日勇猊下のお言葉です。
今ほどこの言葉の重みを感じる時代はないように思います。またこの言葉ほど法華経の精神を表しているものはないと思います。今から30年ほど前、私がお坊さんになる時に入る35日間の修行の時の法主様が岩間猊下でした。
バブルの終わりころの時代ですので今とくらべて活発な経済や「24時間戦えますか?」などといったフレーズが流れていた時代に岩間法主の当時のお言葉は人を励まし、人を敬い、人情あふれるものがたくさん語られました。今の時代を案じているかのような言葉の数々、時代を読んでいたわけではないでしょうが、その後の日本の変遷を思うにつけ、今その珠玉の言葉の重みが増していると感じています。
先日、大先輩のお上人様方が話をする末席につく機会がありその中で「日蓮宗の大曼荼羅こそ共生共栄そのものではないか?」というお言葉がありました。日蓮聖人が表された大曼荼羅御本尊には、神や仏だけではなく魔王も悪人も女人も悪鬼も私たち人間もすべからく(曼荼羅の中の)表されています。すなわちすべての命がお題目を中心に救われるという形をなし、またひとつの世界、宇宙の中にお互いが支えあって存在していることを表している!という言葉を聞いてその場にいた全員が「その通りだ!」と目を輝かせました。
共に生きるということは相手の存在を尊重することです。一人一人が主人公の人生において自分だけがいいのではなく、自分も相手もそれでいいのだ!これでいいのだ!と寛容することが大切な時代になりました。またそうしていくことでお互いが栄えていく。まさしく宮沢賢治のいう「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する。この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか。新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある。正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである。われらは世界のまことの幸福を索ねよう。求道すでに道である。」(農民芸術概論綱要)
私にできることはたかが知れていますが、それでも家族友人、一期一会の多くの人と交わる中で一瞬でも相手を思いやる心を持ちたい、そんな願いを呼び起こす言葉が「共生共栄」であろうと思います。