今日は当山に古くから残る仏像などの抜魂(ばっこん:祈りを捧げてきた対象に感謝とお詫びをして、来た世界にお帰りいただくこと)をしました。
いつ作られて当山に安置されたのか、もはやそのお姿や台座にも書き記したあとがなく、時代の変化の中で装飾品が破損して塗りもはがれてきており子供の頃から心を痛めておりました。いつか修復できればと思ってはいたものの、それが難しい状況になっていることを後から知ることになりました。
例えば十羅刹女(じゅうらせつにょ:10体の鬼神で法華経では鬼子母神と一緒に信仰者を守護すると誓った神様)のお姿も9体しかなく、四菩薩(しぼさつ:末法の世に法華経を広める先導となる菩薩、上行、無辺行、浄行、安立行の菩薩)も3体しかなく、と同じ仏様を似せて作りなおす選択肢もありましたが、それは相当難しいことがわかりました。なのでこのまま粗末な扱いにしておくよりは本来の場所にお帰り頂く方がよいと考えるに至りました。
以前ある先輩から「少なくとも木像はしっかりお経をあげてお詫びしてから抜魂するのが丁寧である」と教えて頂いたので、その心つもりでお経をあげてお詫びを続けておりました。その他にもお預かりした仏像や仏具もあり、今回古い食器類も供養で長年使ってきて倉庫に眠っていた、明治のころからのものも、あわせて抜魂しました。それぞれ奉納された当時のお気持ちに思いをよせて感謝することは時代を超えてこの祈りが届くはずですから。
仏像や仏具もその姿を永遠にとどめおくことは「諸行無常」ですから不可能ではあります。縁あって当山に来られ、手を合わせてきた信徒さんをお守りいただいた事に、心からの感謝を申し上げました。お別れは寂しいですが、これもまた大きな流れの中の出来事です。