見たいもの見たくないもの

昨日はお施餓鬼法要でした。

昨年のお盆から1年の間に亡くなった新霊位を供養し、あわせて有無両縁の諸精霊に回向しました。元々一人では生きていられない世界、多くの人に支えられている人生です。そうした方々にも祈りを捧げます。

見たいものとは自分の好きなものです。好きな色は無意識のうちに目に飛び込んできます。自分の乗っている車が対向車としてくれば、あ同じだ!と意識が向きます。また友人や家族などはたくさん人がいる中でも見つけやすい物です。

逆に見たくないもの、それは年老いていく親であったり、亡くなってしまう関係です。現実を突きつけられますので、非常に苦しい思いがします。そうした見たいもの、見たくないものの中に私たちの人生があります。

しかし亡くなってしまったら終わり、見えなくなってしまうと思っていても私の心の中に故人の思い出が生きていて、故人とのつながり、特に親子であればそのDNAは受け継がれます。見えないからないのではなくて、見えなくなっていても意識すれば見えてきます。そんなことを法要後の挨拶で話しました。

投稿者: 市川 泰雅 

ほほえみの伝道師

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