誰かが見ていてくれる

 昔はお天道様が見ているよ、と母に教えられたことがあります。いいことも悪いこともズルしたことも、みーんな見てもらっているのでしょう。

陰徳や善根といった言葉を聞かなくなってきていますが、野球の大谷選手も球場の「ゴミを拾う癖」を「誰かが落とした運を拾っている」と表現していました。

見えない存在、そんな部分に恐れをなしたりしそうですが道徳感というのは誰も見ていなくてもするべきと思ったことはやる、そこが大事なように思います。

ただ宗教はこれに「祈り」が加わります。「仏さまは見てござる、やったこと、やらなかったこと」そういう時にこそ、自分から動ける人でありたいという祈りが人を成長させるのかもしれません。

投稿者: 市川 泰雅 

ほほえみの伝道師

コメントを残す