有難い

 法事でのお話の一部です。

 私達には親が2人います。親がいなければ「私」は存在しません。その親にも両親がいます。つまり「私」の親は2人ですが、祖父母は4人になります。そうして数えていくと10世代さかのぼれば1024人もの方がおり、命のリレーがありました。「私」が存在するためには、この人々がいなければ成立できないのです。

まさに命は「有難い」ものです、存在すること自体が難しいのです。個々の命の有難さがこうして考えてみると理解できるのではないでしょうか。そしてこの1024人の人達にも人生があり、つながりがあり、成功や失敗がありました。つまり大人まで無事に成長して子孫を残すことができた人達です。

子孫を残せなかった人達も大勢います。でもそこは失敗ではなく、ただそうした事実があるだけです。誰の責任でもありません。誰も責めたりはできません。そうした人もいる中で「あなたの」そして「私」の命は紡がれてきたのです。だからこそ、有難いことに感謝をする、そうした機会が「法事」であり「墓参り」であり、日常生活の中で家族や友人に伝える言葉です。

「ありがとう」の言葉の本来の意味を口に出していってみる。いわれて嫌な気持ちになる人はいません。不可思議な縁によって事象が成り立つ、一見何気ないことにもよく眺めてみると、ひとつひとつが有り難いことだと思うようになります。亡くなった先祖様から言葉で返事がなくても「うんうん、元氣にやってるな」と安心してもらう、そこに感謝の祈りを届ける法事の意味があるのです。

投稿者: 市川 泰雅 

ほほえみの伝道師

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